私以外の物差しよりも
よく世の中の正解とか
世の中が良しとされていることの
「答え」を人は探しやすいけども
答えを探すというよりは
答えを生きようというのはどうだろう?
自分の出した答えに良いも悪いもない
そこにもジャッジはいらないんですけど
大事なのはその時に
何を大切にしようと思って判断したのか?
自分の信念は何か?
ここだと思う
そして人によってここの信念や
大切したいものは違う
自分が自分の大切にしたいもの
自分が強く思うもの
それを理解しているか?
正直になろうとしているか?
本質的に問うところはここだと思います
どっちがいいかとか
これを選んでしまったら何か言われるとか
思い悩むのはそこではないよ。ということ
決めることができないでいるのは
もしかしたら決断力がないとか
そうではなくて
自分が大切にしたいものが
わからないだけなんじゃないかな?と思ったり
誰でも未知なることを
決めるということは怖いのだけども
経験値やちょっとした勇気や自信
そこにこれらは絡んできても
大事なのは過去ではなく
これから自分がどうしたいのか?
だから正解探し,答え探しよりも
その答えを生きる,やってみる
それでも迷う時
もし決めることに迷うのであれば
後悔するか?しないか?だと思う
よく私が何かを決める時に
本当に迷った時によく判断基準として使うのは
「時間」
時間は取り戻したくても
取り戻せないんですよね
時間を無駄にしたり
時間を巻き戻せたら・・・
という後悔だけはしたくないかなと思います
また未来に向かって構築していく時に
何か足枷になるようであれば
今は良くてもそれをどうするか・・・
そんな判断材料になるかなと
あとは精一杯やったか?というのも
判断材料の1つですね
結果はどうであれ
ベストを尽くしたかどうかも
判断基準としては大きいと思います
まだイケる,まだやれる!!
そう思うならとことん進めばいいし
自分に集中すればいい
とことん頑張った
もうこれ以上はお腹いっぱい
そう思うんであれば切り替えることを選べばいい
後悔しそうで選べないのは
ウルトラCを望んでいたり
あわよくば・・とちょっと邪な思いがあったり
本当の自分に目を背きたくなっていたり
「正しい答え」「良いとされる答え」を探してる
ことが多いと思うんです
それよりも
選んだ答えを生きる
それを超えていく
その事実を変えていく
解釈を変えていく
自分の大切にしたいものを軸に考えて
一生懸命出した答えならば
それが答えを生きていくことかなと
実感しています
やっぱり
答えは自分で見つけるし
自分で決めるもの
その時に悩むという行為は
あまり長引くと本質とずれて
ずっとぐるぐるしてるだけのことになりがちです
もしかした悩むことでのメリットを
最大限に得ているのかもしれませんね
悩むっていうのは
その人故の「思い」があるからだと思います
誰かじゃなくて
自分が何を大切にしたいのかを知るチャンスですね
なので自分は何を大切にしたいと思って悩んでるのか?
上澄でなく本質に目を向けてみると
決めやすくなります
決めるために悩んでるのか
決めれないで悩んでるかも大きいな違いだし
1番のロスは
決めることを目的にしないでただ悩むことかもしれませんね
(悩むこと自体にメリットを感じるのはここ)
考えることと悩むことはまた別です
大丈夫
どんな答えを選んでも
全部正解だから
本当のとこを言えば
この世の中は正解のない世界だから
この記事へのコメントはありません。