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思考心理に介入して女性性を再定義します
期待を満たす為に生きてはいけない
どうしても人は信頼よりも期待が大きくなるな〜って
つくづく思う今日この
最近は辞書を引くことが多くなったんだけど
期待は・・・
ある状態が自分の望み通りになることを
心待ちにすること待ち受けること
状態的にはまだそれが「ない」
信頼は・・
それを成し得ることを信じること,頼りにすること
状態的には「ある」という事
ニュアンス的に能動的か受動的な
そんな違いがあるなって思ったんです
自分の中に期待が大きいと
得られる結果や望んでることを
心待ちにしてることが多いから
ベストを尽くしたり,やり切るって言う前に
何かでコントロールしようとなりがち
受け取るとか,待つって気持ちが強くなってるから
待ち遠しいんですよね
自分以外の何かや自分以外の評価やそういったもので
満たそうとしてしまったり
よくあるなって思います
期待は大きいほど裏切られた時のショックもでかい
賞罰教育
自分も子育てしているので
ついつい親の言うとこ聞いて欲しくてやってしまいがち
意識はしていても相手をコントロールしようとなってる時に
これやりがちです
賞罰教育っていうのは
良いことをしたら褒められる(ご褒美がもらえる)
悪ことしたら怒られる(もう何もあげないよ)
的なやつです
これ小さいお子さんいるとあるあるじゃないですか?
●これやったらお菓子食べられるよ
●いい子にしてたらディズニーランド行こうね
とか
●これしなかったらゲームダメだよとか
●ちゃんとご飯食べないともうアイスはあげないよ
私もね気を抜くとついついやっている!!苦笑
これが無意識に延々と続くと
誉められるからやる
欲しいものが手に入るならやる
っていうように
自発的にそれがやりたいからやるのではなくて
与えられる
やればそうなるって
期待の方が大きく育つ
手に入れらないとやらないという
受動的になってしまうのですよね
大人でもよくありませんか?
●痩せるならそこのジム通います
●綺麗になるならファスティングします
●成功するならそのビジネスやります
●結婚してくれるならデートも奮発します
みたいなね
いやいや手に入る入らないが問題なんじゃなくて
その前にあなたがやりたいからやるんじゃないの?って
よくよく考えたら大人も当てはまることが多い?
手に入るかどうかよりも
自分はそれがやりたいのか
自分自身がそれを選んだのか
脳内に誰も入れないで
自分と対話して聞いてみるのがおススメです
他人の期待を満たすのも止めよう
更には自分自身への期待だけじゃなくて
他人の期待
親にこうしたら誉めてもらえるんじゃないか
子供にはこんな大人になって欲しいからこうする
お給料欲しいから会社の期待に応える
評価が欲しいから相手の望むことをやる
これはよくありますし悪いことでないんですが
これが行動や選択の起点になってたら
自分の人生をメインに生きてることにはなりませんね
親の為に,子供の為,会社の為にって意識が強いと
あなた自身はどうなの?どう生きたいの?って
質問には自分以外の何かがよく登場するものです
誰かの期待を満たすことに生きていたら
いつ自分の人生を生きるの?
主役は私に切り替えよう
何かや他者をコントローしたりされたりじゃなくて
自分のことは自分で手綱を握る
人間だから期待は大きくなるもの
期待自体が悪いんじゃなくて
あっても横に置いといて
自分の中の信頼の方を大きくしてみませんか?
相手への信頼を大きくしませんか?
それだけで生き方が変わっていく
あなたの信頼が強くなったら
どんな人生が待ってるでしょう?
人生の起点に是非立ち会いたいです
持ちたいのは信頼の方
信頼はそれを成し得る前提には
既に「ある」ものを
自分がベストを尽くすことで得て行くことになる
どちらかというと摘み取るという感覚
自分にも他人にも期待ではなくて信頼を持ちたい
掴み取っていく方が自分への信頼度も益々高まる
何かにコントロールされる側ではなく
自分で主導権を握ることになるからですね
人生に於いてもそうだなと思います
常に何かの期待に応えようとか
誰かの期待の為に動こうとか
これって主役が自分ではないんんですよね
自分以外の為に生きていて自分の人生を生きてない
だから自分も相手も信頼する生き方の方が
成長も大きいし見える世界観もよりスケールが大きくなる
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